小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第六章 非情なジャングル

 燃え残った兵糧を詰めるだけつめ、ジャングルに逃げ込んだが、想定以上に早く食料は尽きた。生き残った兵も、昼間は見つからないように身を潜め水や食料を探し、夜ひそかに煮炊きをしようと試みた。敵軍の銃は性能が日本のそれより数段優れており、敵兵の姿はこちらからは見えないのに、火を焚くとかなり遠くからでも狙い撃ちされた。
 結局、木の実や食べられそうな葉をむしるくらいしか口に入れられなくなった。
 運悪く負傷を負った兵士は、それが軽傷で仮に縫合できる衛生兵が生き残った部隊でも、鞄には何の薬も入ってない。不衛生な器具で応急処置された兵士は、結局、ジャングルに放置され出血死していく。蚊に刺されたり、何か菌に感染すると高熱でうなされやがて声も出なくなり、朝には真っ青な顔で息絶えていた。

 かろうじて生き残った兵士達も次第に士気をなくし、不平不満をあからさまに口にする者も出てきた。
 「軍令では、町を焼き、住民を銃殺せよと下ったそうだ」
 軍事情報が噂されているのを聞いた時、権太は危うく声を上げそうになった。
 ジャングルの泥の中を逃げ惑いながら、あの時の洋二郎の命令を思い出していた。封筒は絶対に開けてはならない。憲兵につかまった時には何も知らないと答えろ。実際、権太は英語は読めなかった。


 教会を出て振り向いた時、鐘楼に神父が掲げた白い布が日に照らされて光った。あれが、洋二郎の封書に関係しているのだろうか。
 町は今も燃えていない。娘は銃殺どころか、権太が教会に連れて安全を図った。

 洋二郎は、軍令に背いたのだ。
 
 やがて、食べ物もなく、いつ手榴弾が飛んできて吹き飛ばされるかもわからない逃避の苦しさから、怒りの矛先が上官に向かい、軍令に背いた者がいたと噂を知らぬ者はなかった。


 「田所上等兵、上官がお呼びである」
 久しぶりに川を見つけ、新鮮な水を飲み一息ついていた権太は呼ばれた。この苦しいばかりの逃避行であっても、その上官付兵士にはまだ品格が残っていた。権太は洋二郎を遠くからでも見かけることができるだろうと、その兵士に従った。
 背の高い青葉に隠された、小さな洞窟の入口に案内され、中に進むよう言われた。しばらく行くと洞窟の先にろうそくの光が揺れ、そこに洋二郎が座っている姿が見えた。
 「ご無事でしたか」
 権太は久しぶりに見た洋二郎に駆け寄った。すると、横に三人ほど直立不動で上官が並んでいるのが見えた。
 「田所上等兵、待っていた」
 誰かに声をかけられ、権太は洋二郎の前で直立した。洋二郎は痩せこけ、ろうそくの光に照らされた目ばかりが光り、広く輝いていた額は汚れていた。
 「介錯を頼む」
 権太は洋二郎のくぐもった声が、聞き取れなかった。洋二郎の無事がわかり、先ほど汲んだばかりの水を飲ませたくて、携帯した水筒を渡そうと身をよじっていた。洋二郎の命令の意味がわからなかった。
 差し出された水筒を受け取り、洋二郎はごくんと二口ほど水を飲んだ。
 「思わぬ、甘露、甘露」と大きく息をついた。

 そうだ、夏の暑い日、丘から駆け戻ると洋二郎と二人井戸に走り、水を飲んだ。ただの水を甘露と呼ぶのは、洋二郎の口癖だ。

 「母様には、申し訳ございませんとお伝えしてくれ。そして私の指を切り取り、必ずお届けするように」

 

 権太は、目を見開き洋二郎の顔を見つめ聞いた。
 指。洋二郎の指は、花のそれに似て、男の指とも思えぬほど美しい。権太は何を言っているのか、理解できず、直立していた。
 洋二郎が椅子を立つと、脇の軍刀を権太に差し出した。子供の頃、稽古に向かう洋二郎の竹刀を即座に受け取った癖が身につき、権太はすぐ軍刀を両手で受け取ってしまった。
 洋二郎が机の脇に座った。上着のボタンを外し始めた。


  

 
 

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わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

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