小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第五章 空爆

 

 連合国軍の空襲は日本軍の予想をはるかに超え、反撃する間も与えず焼夷弾をまき散らした。炎で明るくなると次は、適格に建物の上に爆弾を大量に落として行く。洋二郎が書いた地図は、その夜落とされた爆弾で燃え二度と見る事はなかった。

 二時間もしない間に兵舎を全焼させた空爆が止むと、生き残った兵士達は黒く焼けただれた死体をよけながら荷造りに奔走した。
 権太は、飛び散ったガラスの破片で手を切らないよう、焼け焦げた鍋やまだ食べられそうな食材など荷物をまとめるのに必死になっていた。すると坂上中尉のご命令だと、調理場から呼び出された。

 洋二郎の前に直立すると人払いされ、洋二郎は無表情に小さな声で命令を下した。
 「娘を教会に連れて行き、手紙を神父様に託せ。手紙は絶対に開けるな。神父様に内容も伺ってはいけない。おまえは何も知らない。もしも憲兵につかまったなら、何も知らない。ただ、自分の使いをしただけだと言え」
 昨夜の地図を説明していた洋二郎とは別人のように言い終えると、坂上中尉は、厳重に封をした封筒と、簡単な地図を権太に手渡した。

 

 権太は、必死に町中を走った。教えられた小さな家をまだ暗い夜明けに探すのに苦労した。ドアを何度叩いても、娘は用心してドアを開けなかった。言葉も通じない。
 やっと窓から顔をのぞかせた娘にドアを開けさせると、権太はチャアーチ、チャアーチと繰り返し、町から少し離れた教会を指さした。娘を急かせ家を出ると手を引いて連れて行った。市街地は昨晩の空襲でも被害は受けていなかった。連合国軍は軍事施設を先制攻撃したのだ。昨夜だけは、住民を巻き込まないようにしたのだろう。しかし、今夜はそんな斟酌もされないだろう。道は家財をまとめて逃げ出す人、途方に暮れただ喚いている人などで溢れていた。気持ちばかりが焦っても、身重の娘の手を引きながらでは、早くは歩けない。

 町の端まで歩くと、そこだけきれいに整備された敷地に建つ、美しい教会が見えてきた。
 この教会を見上げる洋二郎の感嘆した顔を娘も見た事があるだろうか。そう尋ねたかったが言葉が通じない。だが、この娘、アリサが若い日本兵を、愛しているのは権太にもわかった。そして、洋二郎は自分の子を宿すこの娘を、今夜襲って来るであろう空襲から守るため、軍規に反してでも教会に逃がそうとしていると権太は考えていた。
 洋二郎の子供なら、権太にとっても大事な子だ。そのために、憲兵につかまることがあっても構わなかった。

 
 教会につくと、娘は座り込んだ。肩が大きく揺れ、呼吸が苦しそうだ。ゆっくり歩いたのだが、大きなお腹で町を早足で抜けるだけでも辛いのだろう。権太は、暗い室内で目をこらし神父様を探した。神父様は、娘を見ながら、見慣れない日本兵に近づいてきた。洋二郎に託された封筒を差し出し、プリーズ、プリーズと繰り返した。
 神父様が封筒を開け、権太を見返した。もう一度便箋に目をやり文面を確認すると、娘を見た。神父様は、権太の額に指をあてると小さくうなずき目を閉じ、深い静かな声でつぶやいた。

 「One Good Thing. God bless you.」
 わんぐっどてぃんぐ。
 権太は何を言っているのかわからないまま、洋二郎に伝えなければと、繰り返し神父様の言葉を覚えようとした。
 わんぐっどてぃんぐ。そう繰り返す権太に、神父様は深く頷きうなずき、用事があるのか、急いで奥へと入っていった。


  

 

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わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

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