小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第四章 異国の教会

 ある休日に、洋二郎と権太は街はずれの川沿いに建つ教会へと歩いた。
 地震で壊れた後十七世紀に再建されたという石造りの教会は、白い壁に太陽の光を受け、目を細めて見なければならないほど輝いて見えた。
 洋二郎は高い塔を見上げ、
「この鐘楼は海からも見えるな」
 あたりの地形を考えているのか、道からは見えない海の方角を指しながら言った。

 教会に入ると日曜日に、身なりの良いご婦人たちが、幼い子供達に刺繍を教えていた。子供達の風体からして貧しい子だろう。
 神父が洋二郎に近づいてきた。二人が身振りを混ぜて神父と話している間に、権太は教会内を歩きまわった。石壁に漆喰を塗った室内は暑い空気を遮断するのか、中はひんやりしていた。丸い天井を見上げた。数体の像が掲げられている。ヨーロッパに長く統治されたこの地では、アジアとは思えない洋風の像だ。
 見慣れない異教徒の像を見上げて歩くうちに、一体、白い衣装を着た女性の像があった。衣装のひだまでが彫刻してある。この国でも女性を崇めるのか。
権太は、日本で白装束を着て舞う花の姿が目に浮かんだ。あの夜の花様の美しさを思い出すと、権太は胸が締め付けられるように会いたくなった。生きて日本に帰れたら、必ず花様を訪ねて顔だけでも見たい。

 洋二郎が近づいてきて、権太に話かけた。

 「あの子たちは、親に死なれた子供達だそうだ。日曜日にご婦人が裁縫を教えて、将来、生計が立てられるようにとの配慮らしい。子供達は、お稽古の後に配られるお菓子が目当てらしいがと、神父様が笑っておられた」と、洋二郎は笑いながら伝えた。

 神父様が、One Good Thingと言いながら、洋二郎に渡してくれたお菓子を半分にちぎり権太に渡すと、洋二郎は教会を出て行った。
 権太は遠慮なくもらった焼菓子をほおばると、その甘さに驚いた。
「こんな甘いお菓子久しぶりですね」と、権太は洋二郎の背中に言った。
 洋二郎はその声に残りの半分の焼菓子を口に入れた。まるで薬でも溶かすようにゆっくり食べ、振り向き教会を探るように見やった。
 住民の中に、町の浮浪児に配る菓子に使えるほど砂糖に不自由しない者がいるのか。輸送海路を失い貴重な砂糖がふんだんに使われている。日本が統治している領土内で、統制を抜けて敵軍に通じているのか。洋二郎は神父の温和そうな顔を思い起した。
 あの牧師はなぜ、お菓子を日本兵に与えた。政治的に中立だろうか。過激派とは通じていないのだろうか。
 「この甘味は地元の糖きびだろうか。それにしては雑味の少ない甘さだった」と、洋二郎は権太に聞いた。
 「こんなおいしい物、本当久しぶりです」
 権太は子供の時に見せた満面の笑みを浮かべ答えた。 

 

 休みのたびに街に出ると、必ず洋二郎はあの路地をいくつも曲がった小さな食堂へと向かうようになった。給仕をする娘も、洋二郎の姿を見ると笑を浮かべ寄ってくる。権太は、洋二郎がこんな顔をすることがあるのかと、娘を目で追う横顔に戸惑った。どんなに権太が邪魔をしても、洋二郎が、その店に通う事を止めさせることはできなかった。娘は洋二郎を見ると、本当に嬉しそうに笑顔を見せ、権太まで、まわりの空気が甘酸っぱい香りがするようで気恥ずかしくなった。そして不思議にきゅうりの浅漬けを思い浮かべたように、よだれが出てきた。
 洋二郎は、こめかみまで上気させ、食事の間も娘の姿を目で追いかけている。それは現地の酒が入った男たちのそれとは違い、まるで娘が運ぶ食べ慣れない油の臭いがする食べ物でさえ、神聖な物のように思わせた。周りの男たちも、この明らかに士官である日本兵が本気でいるのを察し、以前のように露骨にねぶりまわすような視線を娘に投げなくなった。
  

 
 

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わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

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