小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第二章 召集令状 1

 「権太さん、家に戻ってください」
 奥様の佐和からの使いが、畑で土おこしをしていた権太に走り寄って来た。足を洗い土間に入ると、房の顔は今にも泣きそうだった。それだけで、権太は、ああ、来たなとわかった。庭伝いに仏間で正座し背を向ける奥様の背中に声をかけた。

 「お勤め、おめでとうございます」
 佐和は、すっと仏壇から権太の方へと向き直ると、召集令状を膝の前に置き頭を下げた。奥様の髪はいつの間に、白髪が増えてしまったのだろう。畳の上の赤紙を見ながら、奥様の白髪が目立つ事に初めて気が付き権太はぼんやりしていた。召集令状が来ることは初めからわかっていた。男に生まれたからにはお国のために働くのは当たり前のことだった。

 権太は赤紙を手にしたまま、井戸端で水を飲んだ。さも何事でもないように、洋二郎が良く言う口癖を声にだしてみた。
 「ああ、甘露、甘露」

 

 春に休暇が終わり、士官学校へ戻る洋二郎をバス停まで送りに行った際の最後の言葉を思い出した。
 「母と花を頼む」
 そう言いながら権太の肩を叩いた。
 列の最後でバスに乗り込む前に洋二郎は振り向いた。母の佐和を無言のまましばらく見つめた。思いがあふれて何から言ったら良いのかわからない、そんな目は、母への豊かな愛情にあふれていた。
 佐和と権太はバスが見えなくなるまで見送った。二人ともこれが最後かも知れないと内心恐れているかのように、まるで見つめていれば想いがかない、また、バスに乗って洋二郎が帰ってくると信じこんでいるようにじっと見送った。

 自分がいなくなったら、女達はどう暮らすのだろうか。権太は赤紙を手に案じた。

 

 動員された工場から戻る道で房から召集令状が来たと聞かされた花は、夕食の時、
「あさっての夕方に村のお祭りで舞を奉納するのに、権太さんは見ないで行ってしまうの。私、権太さんが絶対無事に戻りますようにと心を込めて舞います」と、権太に言った。
 房は権太がいなくなったら、家事や畑が大変になると上の空で小上がりに座り芋を食べ、芋にむせかえった。
 最近は地主でさえも供出に追い立てられ、麦飯に具の少ない薄い汁、そして芋しかなかった。もう砂糖が配給でも配られなくなり、芋の甘辛煮でさえもごちそうになっていた。
 障子の後ろで、奥様、花の笑顔を見ながら権太は、何度も胸で繰り返した。俺は絶対、この家に戻ってくる。この家で働くのが俺の仕事なんだ。花でさえも嫌いだった芋を権太によこすことは、昨今はなかった。

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

 

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あらすじ

 手が届かない人ーー親に早くに死なれ地主の家に引き取られた権太は、次男の洋二郎に可愛がられ育ち、末娘の花に秘かに恋焦がれていた。第二次世界大戦末期、戦局は厳しくなるばかりだった。権太にも召集令状が来た。当然の事と出兵する前夜、権太は花が奉納する舞を見る。

 もう、二度と花様の顔を見る事ができないかも知れない、自分がこの世から消えるよりそれが怖い。

 異国で再会した洋二郎。その恋。空爆を受け洋二郎が下した命令。神父の言葉「わんぐっどてぃんぐ」。その意味がわからない権太。別れ。激しくなるばかりの空襲、そして敗戦。 

 権太は、地主の家族は、生き残れるか。権太は花に会えるだろうか。