小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第二章 召集令状 2

 祭りの前日なのに大雨が降り、今年は無理ではないかと村の衆が気をもんでいた。権太は仏間に陰干しされている白い衣装と、雨空を何度となく見に行き、明日は天気になってくれと祈った。この雨の中、花お嬢様はどこに行ったのか、房に聞こうと土間や井戸端を探したが二人ともいなかった。

 翌日は雨に洗われた緑が風に揺れ日差しを浴びていた。権太は畑に出れば他の小作人から最後の日は好きな事をしろと追い出され、かといって畑以外の仕事は他に思いつかず、裏庭で薪を割った。女ばかりが残され、力仕事は房には無理だろうと気づいたのだ。清様も春から初年兵訓練に入り、休暇に戻っても家事を手伝うとは思えなかった。

 ようやく日が沈み始めると権太は、村の鎮守様の石段を駆け上った。前方の目立たない場所を探したが、すでに村人が立ち空きはなかった。仕方なく、舞台脇の紫の花の下に隠れるように立った。奥様は前の方に座席が設けられ、正面に座っている。その横に以前町で見かけた身なりの良い男とその母親のような二人が座っていたが、ただの見物人がわざわざ村まで来るのも珍しい事とふと思った。
 村の簡素な能舞台にこの夕べの舞のため、村人が太鼓や笛を手に座り、舞台右手を見つめている。笛が伸びやかな音を奏で、太鼓がおだやかな間をきざんだ。それに合わせて、白装束に緋袴、髪に白い帯をまいた花がしずしずと舞台に出てきた。まっすぐに視線を宙に向け、花がゆっくり風にただように、だが揺らぐことなく舞う。


 もしかしたら、花お嬢様のお顔を見れるのも最後になるのだろうか。
 そう考えると恐怖が権太の腹の底からわき震えが来た。垂れ下がる紫の花で顔が隠れていたので、臆することなく花様を見つめていた。
 花の白装束の裾がふわりと揺れ、そして止まった。静かに礼をし、舞台袖へと退出していった。
 権太は、その後ろ姿を見つめた。自分がこの世から消えていくのが怖いのではない。花様や洋二郎様に二度と会えない。あんな大事に育てられた娘が、男達が戦場に行った後、母と二人だけで無事に生きていけるだろうか。男達は戦地に向かえば戻って来れない事のほうが多い時代になっていた。地主のお嬢様が自分には到底手の届かない人だとわかってはいたが、誰かと幸せに暮らす姿だけでも見届けたい。権太は人に見られぬよう慌てて涙をぬぐうと、石段を下りっていった。

 

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

 

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あらすじ

 手が届かない人ーー親に早くに死なれ地主の家に引き取られた権太は、次男の洋二郎に可愛がられ育ち、末娘の花に秘かに恋焦がれていた。第二次世界大戦末期、戦局は厳しくなるばかりだった。権太にも召集令状が来た。当然の事と出兵する前夜、権太は花が奉納する舞を見る。

 もう、二度と花様の顔を見る事ができないかも知れない、自分がこの世から消えるよりそれが怖い。

 異国で再会した洋二郎。その恋。空爆を受け洋二郎が下した命令。神父の言葉「わんぐっどてぃんぐ」。その意味がわからない権太。別れ。激しくなるばかりの空襲、そして敗戦。 

 権太は、地主の家族は、生き残れるか。権太は花に会えるだろうか。