小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第一章 地主の家族-4

 翌日、早速、洋二郎は権太を子供の頃から稽古をつけていた丘の空き地へと連れ出した。急な坂を登らなければならないこのわずかな平地まで耕そうとする小作人もおらず、天気の良い日には良く二人で駆け上り、竹刀を振った場所であった。士官候補生とはいえ、洋二郎はするどい竹刀さばきであった。体格も昔のように差があるわけでもない。力は権太の方があるはずだ。それなのに、洋二郎は背中に目がついているのかと思うほど、矢継ぎ早にしかけてくる。疲れてくるとなおさら、権太は防御で精一杯になり、最後は、負けましたと頭を下げざる得なかった。
 なぜ、この人にはいつも勝てないのだろうか。
 お互い肩で荒い息をし汗をぬぐいながら、権太は洋二郎の横顔を見た。

 水色の空に白く薄い雲が浮かび、春の田植え準備で耕し始めた茶色い土のにおいが心地良かった。

 

 「やっぱり、ここだったのね」
 振り向くと丘を登ってくる花の上半身がひょこひょこと上下に揺れながら近づいてくる。振り向いた洋二郎の背中と笑いながら近づいてくる花、天気の良い春の日、豊かな土の香り、権太は深呼吸をすると思わず、おおーいと大声で空に向かって叫びたくなるのをこらえた。花が来て嬉しくて仕方ないのを洋二郎に悟られるのは恥ずかしかった。

 
 「母様が、お昼に戻って来ないからおにぎりを持って行きなさいですって」
 花は傍らの房が抱える包みを取ると振ってみせ、どこか乾いた場所がないかと目で探している。権太は、切り株がある所まで小走りに案内し花を座らせた。花は微笑みながら、膝の上で包みを開き洋二郎に竹の皮で包んだ握り飯を渡した。権太は近づき、もう一つの包みをもらった。花の手に権太の指が触れた。瞬間的に手を離したので、包みがふと落ちそうになり、権太は慌てて膝をつき抱き止めた。
 花のびっくりして大きく開けた目がまっすぐ権太を見つめている。権太は、全身の毛穴がびっくと反応し慌てて目を伏せた。
 「落とすかと思った、権太さん」
 笑いながら、花は眼下の畑を見ようと前を向いた。薄紅色のセーターが良く似合う。足元に黄色たんぽぽが咲いている。
 権太は握り飯にかぶりついた。麦が半分入った飯を握ってはいるが、やはり自分たちで育てた飯は炊き立てで、塩加減も子供の頃から食べなれた味だ。房がいつものように顔をしかめながら、結んでくれたのだろう。空気を含んだ、食べているうちに崩れそうなおにぎりは、訓練宿舎の食事とは比べものにならないほどうまい。ましてや、洋二郎と花の顔が重なって見え、春の緑の中に談笑している姿に、なぜか権太の胸に甘い感情が沸き上がってきた。誰もいなければ、俺は空に向かって叫ぶぞ。

 ああ、俺は幸せだ。

 

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

 

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あらすじ

 手が届かない人ーー親に早くに死なれ地主の家に引き取られた権太は、次男の洋二郎に可愛がられ育ち、末娘の花に秘かに恋焦がれていた。第二次世界大戦末期、戦局は厳しくなるばかりだった。権太にも召集令状が来た。当然の事と出兵する前夜、権太は花が奉納する舞を見る。

 もう、二度と花様の顔を見る事ができないかも知れない、自分がこの世から消えるよりそれが怖い。

 異国で再会した洋二郎。その恋。空爆を受け洋二郎が下した命令。神父の言葉「わんぐっどてぃんぐ」。その意味がわからない権太。別れ。激しくなるばかりの空襲、そして敗戦。 

 権太は、地主の家族は、生き残れるか。権太は花に会えるだろうか。