小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第一章 地主の家族-2

 

 

 数日前に戻り、母と花しかいない家で退屈していた洋二郎は、さっそく稽古に出たそうだった。佐和奥様が、久しぶりに戻ってきた権太は疲れているだろうから、早めの夕食にし就寝させなさいと止めなかったら、権太は帰宅してすぐに洋二郎の稽古につきあわされるところだった。
 
 古い地主の屋敷の磨きこんだ板の間に高台盆が並び、家族が向かいあい食事をしている。麦飯、汁、漬物そして芋の煮付と、それでも食べ物は配給に頼る街のそれに比べれば贅沢なものであった。母の佐和は子供達の箸の進み具合に目を配りながら満足そうに見ている。次男の洋二郎は母の横に座った。漬物を飯の上に置くと、大きな口をあけて麦飯をほおばる。
 一段さがった土間の横の小上がりで障子に隠れ、音を出さぬよう芋ばかりの麦飯を食べているのは、訓練から戻った小作人の息子の権太だ。
 権太は久しぶりに戻った居間を見回した。洋二郎はいつみても男らしい顔をしている。広い額に凛々しい眉。一番右端に三男の清がいた。あぐらをかき無心に茶碗に口をつけ飯をかきこんでいる。末娘の花は母の左隣で、時勢がら質素だが品の良い身なりをして座っている。今夜もそれが常になっている苦手な芋の煮つけを母親に気づかれぬよう、障子の向こうへと皿ごと渡してきた。

 障子の影で、権太は、花がよこしてきた皿の上の芋を取るとすぐさま空の皿を戻した。置くときはそっと手を外したが、皿を受け取る花の指の細さが、権太の脳裏に焼き付いた。野良仕事にでない少女の指は、下働きの女たちの見慣れたざらついた手とは明らかに違っていた。皿のやりとりを汁を飲みながら見ていた洋二郎は、権太の頬がかすかに赤らむのに気づいたのだろうか、目が笑っているようで権太は視線を避けた。

 夫に先立たれ、幼い子供達と舅姑の面倒まで女一人で見てきたこの家の女主は、若い時は美しかったに違いなかった。しかし地主とはいえ、この家を支えてきた苦労が顔に出て、日に焼け声にも人を黙らせてしまわざるえない険がこもるのは、致し方ないことであった。今夜は不在の長男の慎吾だけでも、大学の研究室に残ってくれればと願っていたが、長男が戦争に行かないようにと口にする事は時勢が許さなかった。

 「洋二郎さん、まだ汁はありますよ」
 佐和が声をかけると、洋二郎は椀を権太に差し出した。権太はすぐに立ち上がり、椀を受け取ると三男の清を見やった。残った飯を急ぎほおばると飯茶碗を渡してきた。竈近くにいた住み込みの女中の房が首を振った。飯は人数分しか用意されていなかった。
 「陸軍に入れば銀めしをたらふく食べさせてもらえるそうです」
 清は、不満そうに言った。そして、お前が先に行けよといわんばかりの形相で権太をにらみ、空になった茶碗をごとんと置いた。佐和は清を咎めるように一瞥すると、洋二郎に向き直り、

「慎吾兄様は大学の研究室に残れなかったら、従軍することになると言って寄こしました」と、長男の慎吾の近況を伝えた。

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

 

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あらすじ

 手が届かない人ーー親に早くに死なれ地主の家に引き取られた権太は、次男の洋二郎に可愛がられ育ち、末娘の花に秘かに恋焦がれていた。第二次世界大戦末期、戦局は厳しくなるばかりだった。権太にも召集令状が来た。当然の事と出兵する前夜、権太は花が奉納する舞を見る。

 もう、二度と花様の顔を見る事ができないかも知れない、自分がこの世から消えるよりそれが怖い。

 異国で再会した洋二郎。その恋。空爆を受け洋二郎が下した命令。神父の言葉「わんぐっどてぃんぐ」。その意味がわからない権太。別れ。激しくなるばかりの空襲、そして敗戦。 

 権太は、地主の家族は、生き残れるか。権太は花に会えるだろうか。