小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第七章 空襲そして敗戦-2

  花を焼け残った蔵に寝かしつけると、房に医者を呼びに行かせた。早くに手当をしなければならなかった。まずモンペが張り付いている燃えかすを肌からはがそうとすると、花は絶叫をあげた。
 佐和はどうしたものかわからなかった。右もものやけども広範囲だった。だが、右手は、どうなるだろうか。
 
 佐和は涙を拭くと、井戸に向かった。水を汲もうとして、足が止まった。井戸の蓋さえ爆風で落ち、その上に設置した手押しポンプが見当たらない。
 どうしたものかと顔をあげると、塀の割れ目から房が一人でこちらに向かってくるのが見えた。塀まで燃え崩れ、遠くまでも見渡せるようになっていたのだ。
 医者は来れない。村一帯が空爆されたのだ。けが人は内だけですむわけもない。

 佐和は慌ててぶすぶす黒い煙を上げている屋敷跡を探した。転がっている桶を二、三つかむと、こちらに向かってくる房に来るなと手を振りながら、川へと水汲みに走った。

 汲んできた水に、花の右手を浸すと指の間から血と焦げた皮膚がはがれてきた。花は絶叫し、ふと力が抜けると失神した。

 

 佐和は、花の嫁入りを案じた。
 この二日後には嫁がせるため、仏間に花嫁衣裳をかけていた。花は町の銀行家の長男に嫁がせる事になっていた。

 前夜、空襲が突然始まり、一度は防空壕に逃げ出した。佐和が仏間の慎吾の写真と花の花嫁衣裳が気になり、防空壕を飛び出してしまったのだ。花は自分を追いかけて来たに違いない。その時、轟音がして昼間のように明るくなると天井がどっと崩れ、炎が上がった。目の前で、花の黒い花嫁衣裳が燃え上がるのを見た。佐和は慎吾の写真を胸元に押し込んだ。
 「お母様、助けて」
 花の叫び声で振り向いた。炎の向こうで崩れた柱の下で花が倒れている姿が見えた。

 自分が、慎吾の写真を取りに戻らなければ、佐和は何度も同じ事を悔やんでいた。
 痛みで時折うめき声をあげる花に気づかれぬよう、蔵をそっと抜け出すと壁と蔵の厚い扉の間に隠れ、佐和は歯を食いしばって泣いた。近所の誰に見られているかもわからない。帝国軍人の母が人前で涙を見せてはならない。腹の底からどす黒い怒りと嘆きが涙になって佐和は、歯を食いしばり直立して泣いた。

 慎吾はもう、戻らない。こんな時にどんな時も冷静だった慎吾が生きていてくれたら。佐和は、真剣なまなざしで前をみつめる慎吾の写真を撫でた。
 佐和は、写真にむかって話しかけた。
 慎吾さん、花が大火傷をしたの。だけど、薬もない。お医者様も冷やして、化膿しないように清潔にしておいてくださいとだけ言うと頭を何度も振って帰ってしまった。

 どうしたら良いだろう。

 

 六月の雨が続く日に配達員が土間へと入ってきた。佐和が立ち上がり迎えると、
 「名誉ある戦死をおとげになりました」
 戦死広報を渡しながらまだ少年のように見える若い配達人は佐和の目を見る事もなくそう告げ去っていった。数が多いから慣れてしまい、家族の泣き声を聞く前に逃げ出したい。そんな背中だった。
 慎吾が従軍医として乗った船は、連合軍の爆撃で沈没した。あんなに真面目に勉強ばかりして、何が楽しかったのだろう。たまに、洋二郎と清が喧嘩をはじめると、最後に仲裁に入ってくれるのが慎吾であった。慎吾は言葉は少ないが、日頃から仲が良くなかった弟達も慎吾の言うことは聞いた。

 


  

 
 

 

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わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

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