小説: わんぐっどてぃんぐ 第一部 戦中編 第四章 異国の教会-3

 「白湯をお持ちしました」
 洋二郎の部屋の前で声をかけると権太は部屋へと入った。洋二郎が紙をひろげ、何やら書き込んでいた。権太を見ると、目で前に座れとテーブルの上の紙に視線を戻した。
何をしているのかと湯呑茶碗を脇に置きながら、紙を覗き込むと権太は声を上げた。
 「あれ、これは、屋敷の地図ですか」
 紙には家の土地に、丘、畑、川が書き込まれている。

 「戦争が終わって、生きてかえったら、この土地をもう一度耕して、生活を立て直さないとな。新しい家も建てないと、母さんはアリサを良くは思わないだろう」洋二郎は地図から目を上げずに言った。

 あの娘の名はアリサで、日本の屋敷に連れて帰るつもりでいるのだなと権太は黙ってしまった。おおよそ、あの褐色の肌をした娘がモンペをはいて、あの家で嫁として暮らす事が想像できなかった。佐和奥様の気性を考えると、さぞかし気苦労が絶えない洋二郎の姿も浮かんだ。
 しかし、花様も嫁に行き、もうあの家にはいない。自分も仮に生きて帰れたとしても、もう、あの屋敷に戻り暮らしたいと願うだろうか。権太にはわからなかった。

 

 「この辺りは川が氾濫すると作物が駄目になる。夏野菜など早く収穫できる作物しか作れない」
 洋二郎はつぶやくように、鉛筆で印をつけていく。
 「戦争が終われば、工業が盛んになる。車も多くなる。道路が通る。電車も通るだろう」
 「線路が通るのですか」権太は洋二郎の手元を見つめた。
 「線路は、川の側には引けないから、自然平地のこの辺りを通る。線路がひかれ駅ができる。駅前には商業施設ができる。我が土地であれば、地盤が固く平野が続くのはこの辺だ」
 洋二郎が丸で囲んだあたりは、丘の下で川から離れ、水が引きにくいので現在は放置されている所だった。
 「こんな水が引けない所に、町なんて栄ませんよ」
 権太は少しあきれたように言ってしまい、すぐ悪い事をしたと洋二郎の顔を見た。洋二郎は笑いながら、
 「空を見ろ。鉄の塊が空をすごい速さで飛んでいく。子供の頃想像したか。海には何十トンもの戦艦が沈まずに浮かぶ。これからは、技術の時代だ。もう畑にしがみついて農作だけで生きていく時代ではない」
 権太は、畑仕事しかできない自分を馬鹿にされたような気がして何も言い返せなかった。

 沈黙した権太を覗き込むと、洋二郎は言った。
 「権太、不動産を勉強しろ。大学に行かなくても、いくらでも働ける。時代の流れを見ながら、一緒にあの田舎を変えて行こう。慎吾兄さんは小さな医院を作り、村が町に成長すると集まる多くの人を診る。俺たちは村の再建だ。家や駅、商業施設を建てる。権太は、管理すれば良い。清は」
 そこであいつは何がやりたいのだろうかと考え、天井を見上げたのと同時に、空襲警報が鳴った。
 二人は、来たかと顔を見合わせ、すぐに洋二郎は明かりを消した。
 言葉を交わすこともなく、互いの持ち場へと駆けだした。


  

 
 

 

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わんぐっどていんぐ: 第二部 帰郷編

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